親友の大切な場所にゆく。
彼女は、僕と同じ誕生日ゆえに、いつか親友となった。
それだけでなく、世界を同じ視点から見れる人、ということだろうか。
僕が親友と呼ぶ人の多くは、喜びの中に悲しみを探し出すことができて。
悲しみの中に喜びを見つけ出せる人のことを言う。
絵描きのおじいさんの部屋から、今の彼女があるという。
はじまりの場所に、村のバザール村長ななこと共に。
絵描きとして生きた人、遺してくれた時間、その人だけの特別な空間の中。
三人でまだ使えそうな古きよきものを、ほこりだらけの部屋で黙々と重ねていく。
彼女が小さい頃につくった、楽しい作品も色々でてきた。
塩辛ハットの魔女の人形に、絵を描くあなたへの贈りもの。
それを見て嬉しくなって、それすら描いてしまう絵描きもいたわけだ。
残すものと、捨てるものがあるということ。
僕もかつては、死んでも残したい欲求のかたまりだったけど、最近はどうなんだろう。
写真だってもう、ほとんどパソコンの中にしまって、満足しているくらいだ。
高そうな美術品はわかる、高価でなくても愛着があったものが気になる。
僕もなんかもらっていこうという魂胆だったが、イタリア土産のかわいい灰皿ひとつだけにした。
ここに大切な者たちと、はじまりを感じながら、居るだけで十分だった。
あとのものは、彼女たちの新しい場所で、愛されていくことだろう。
そういうものこそ、さらに巡っていくんだよね。
それにしても、ここに僕なんかが座ったら、絶対あやしげな貿易商の図になることだろう。
#3035-15-08 / Painter’s Atelier