扉を開いた先に、いつもとはちょっと違ったふたり、さんにん。
7年前、初めて彼らとゆっくり過ごした時、こんなことを書いている。
晴れの春でなくっても、ほころぶことができる。
それがわかっただけで、春が来たことを知れる。(#0026)
三人で美味しいアシタバの天ぷらを食べてから7年。
同じように、いつも始まりにいてくれるような人たちと、素晴らしい時間。
彼らと過ごす時は、何かのいたずらで、僕たちに似合わない空間、であることが多い。
でもそれがいい。今回なんかミッドタウンに、銀座をぶらり。
今年の僕の写真はかなりやばいって言ってるのに。
よりにもよって大切な人たちのトリプル記念日。毎回思うよ、僕がいていいんですか?って。
家族写真は、こちらが願いを持って、幸せそうに映っていればいい、みたいな考え方だったと思う。
で、そういうトレーニングを積むしかなかった僕の眼は、ある意味、乱暴だったと思う。
今はもう、何かを感じはするが、あまり見てはいない。後でわかる。
そして、大切な人たちというだけで、撮った写真に対し涙が出てくる。
もう無理だなぁ、自分の写真にやられる写真家なんているのだろうか。ここにいるのか。
もう友達から謝礼金をいただくのはやめようと、年末か年始に書いたと思うけど。
一昨年の僕の写真記念日(12.22)に仕事で彼を撮った時同様、1枚多めに入っていると感じる。
小さい子供と一緒だと、そんなにたくさん撮れないからって言ってるのに。
さらにお高い六本木や銀座でも、たくさんご馳走されたな…
写真以外でも、僕にできることも少しはあるんだな、そう思えただけで幸せなのに。
今までこういう写真の後には、心よりおめでとうございます、そう締めくくってきたけど。
そんな思ってもいないことを言うのはやめよう。
みんなには、とにかく幸せになってもらいたい。本当にもうそれしか思えない。
そんなはじまりの春の日を、いつも僕らに、ありがとう。
#3454-17-02 / Aoi