毎年恒例、僕の従姉家族が、お隣のおじさんおばさんの元にやってくる。
今日はおばさんの唐揚げにコロッケに豚鍋、金柑にユリ根にいくらに、いつものように大宴会。従姉の子たちと会うからには、僕はお年玉なるものを捧げたほうがいい感じになる。僕は生まれて初めて、ほんの気持ちくらいのものだったが、自身の流れを変えるために用意してみる。直接わたして千円しか入っていなかったら彼らは興ざめするだろうから、おじさんおばさんにわたしてもらう。
でも五千円のお年玉が六千円になる意味合いについて、彼らがこの先々生きるために知る真実であることは、疑いようがない。はず。
お姉さんがまだ赤ん坊の頃から、僕は見ているから。こういうのは本当にいいなぁと思う。僕が小学生になりたての頃の従姉のお姉さん。会う時は新潟の田舎だったのだけれど、僕にとって初めて、お姉さん、という概念を知った感じだった。小学校の高学年になって覚える言葉が、とても大人っぽく聞こえて、ドキドキした覚えがある。その言葉は「くつろぐ」だったのを忘れていない。それから僕は、この言葉が大好きになった。
今年も美味しいパイをみんなで分け合った。フェーブ陶器の代わりのアーモンドひとつ。それを与えられた人は1年間、王様女王様になり幸運に恵まれることができる。去年は僕のパイにそれが入っていた。王様にはなれなかったけど、幸運以上の幸運が訪れたことは確かだ。今年は、いつでも大人たちの前で裸になることのできる男の子にアーモンド。ここには載せれなかったパンツマンの写真、いつか大伸ばしにして、贈ってあげたいと思う。
#3404-17-01 / Yukako and Akimasa 3