この6年以上、ほとんど毎日続けてきた写真ブログだけど、先月末の誕生日を挟んで1週間以上お休みした。2周目の写真旅で相当くたびれてしまったらしい。おかしいな、確かに習慣だったはずなのに。なのでまず写真を選んでみる。
39歳の誕生日前夜は、僕の花屋時代の店長さんたちと、友人シェフのレストランで久しぶりのコース料理。2人のお姉さん方には、ご飯をたべれなかった時代に、とにかくお世話になった(とある限界の中、台風の日にやって来た配給車を僕は一生忘れない)。感謝するだけでは済まされない状況がかつての僕には多々あって、けど僕はまだ、写真をやめていない、ということしかできていない。今僕は、その頃の彼女たちくらいの年齢になった。
最後に友人シェフがデザートの盛り付けと、1年先の40歳のお祝いまでしてくれた。ちょっとした優しさっていうのかな、嬉しいよね。今まで不惑という言葉もよく知らなかったが、論語にある40にして惑わず、ということ。自分のやってきた、やっていることを悩むことなく突き進め、みたいに捉えてしまったけど、違うらしい。
どんなに厳しい困難や問題がやってきても、もっと心の広い、自由な発想の仕方で乗り切りなさい、もう40なんだから、こちらの意味のようである。なるほど、やっぱりこんなところで人生が惑うことなく収まるわけがない、ということだね。
新しい年になって最初、友人フラワースタイリスト Iria Sachi Tanosaki さんの作品撮りをした。僕はバイトでブーケや花束やらを作ったことがあるというレベルだが、全く別の次元にいる人だな。何度かゆっこへの記念日にブーケを作ってもらったことがあるが、イメージが降ってきたら一瞬、もう魔法のように素晴らしい世界を編むことができるアーティスト。
最近、南米写真などでゆっこの写真を色んなところで載っけていたら、どうやら Sachi さんがアーティストとして今やりたいこと、ゆっこの旅を経てきた佇まいから、猛烈なイメージが降りてきたらしく、民族衣装や原色甚だしい感じで、彼女をモデルに僕が撮影することになった。花屋さんはおしゃれな方が多いわけだが、その中でも特に敬遠されがちなメジャー過ぎベタな花(仏花によく入る黄のソリダスターや、紫のスターチス等)、そういうのを使ってやりたいということ(僕もバイト時代に似たようなことにチャレンジしたが結果は書かない)。だから彼女みたいな原色が似合う人が必要で、そういう人は、日本人の中ではあまりいないんだと思われる。自分でも気にしている眉毛も、うーんすごくいい!と言ってくれる人も世の中にはいたわけだ。よかったねー。
Sachi さんの束ねる花々はともかく、スタイリングぶりにも度肝を抜かれた。持参したグアテマラ刺繍の民族衣装を見るなり、これは裏っ返しに着て(刺繍の裏側はあるがままにほころんでいる感じ)、それに似合う花が今うちにないなら、近所の競合店に買いに行くその姿勢(笑)、不惑ではないけど、心の広い、自由な発想って、ある人たちにとってはそういうことなんだろう。本当に花が大好きな人なんだなぁと思う。で、彼女は綺麗な花の世界に、必ず毒っぽいものを混ぜたい人で、その部分は僕もとても好きなところでもある。ゆっこも知ってはいたけど意識的に写るのが本当に上手で、撮影的にもノ・プロブレマ(写るのがうまい人を撮るのは、楽なだけであって実は面白くはない)。僕はいつものごとくただシャッターを押すだけで、とにかく素晴らしい時間だった。彼女は家に帰ったらすぐに、ぐーすか眠っていたけどね。
30代最後の僕は、何を見ていくでしょう。これからはかつての僕がおそらく苦手だった、心の広い、自由な発想で、素晴らしい仲間たちと共に世界を作っていきたいと思う。
#3331-16-07 / Sachi’s Styling