2015-0401 石垣島 – 与那国島 – 竹富島 30/48
与那国島ともお別れ。5泊6日で見所もそうでない所も見れた。今思うと、やっぱりドクターコトーは見てから行った方がもっと陽気に楽しめた気はするね(笑)
この間、中国側から見た日本地図をフェイスブックで見かけたのだけど、ちょっと地図を逆さまにするだけで、これほど違う見え方がするかとびっくりした。沖縄の見え方も少し変わる。やっぱりそういう絵だけでないことも、知らないといけないね。僕はとにかく地図というものが大好きなんだけど、ガイドブックに乗ってるのだけじゃなく、もっと広い地図も常に持ち歩きたい。
戻ろう。この島は2003年からはじめた僕の沖縄旅の終着駅、という感じでもあったかな。さあこれからはじまるぞ、というムードには少しもなれない。でもコトー先生の時期に行ってなくて良かったかもしれない。こういう気分は気分で、2015年の僕らしい選択だったと思うよ。
僕の最初のひとり旅らしいひとり旅は、1999年に宮古島に行った時だった。それからいくつもの島を巡った。久部良の宿では、僕と同じ世代で同じ時期に、好きで八重山離島巡りをしてきた人に出会った。沖縄が特に観光に力をいれ、移住とかも流行りだした頃にまさに島を旅してきて、お互いの状況をすんなり分かち合うことができた。僕らの世代はこれからさあやらなくちゃ、といけない頃合いに、こともあろうに「癒し」なんていう想念が流行りに流行ったもので、これはなんとも闘争心を欠けさせたものだったなあ。僕の撮る写真もそれにあてはまりまくりで、これはまずいよ、とよく思いながらも脱出不可能だった。
僕のいちばん好きな島は竹富島(心の底では宮古島)だが、その人によると今竹富島は、台湾中国からの観光客(日本人も)ですんごいことになってるらしい。レンタサイクルの数も増え、あの美しい道々のところどころ駐輪場までできているとのこと。そういえば僕の好きな、ほんとになんにもないアイヤルミチ(蝶の道)の近くにもリゾートホテルが建った。でも僕らは花酒どなんを共にちびちび飲み、でもここまで来てよかった、と楽しんでいる。これは沖縄に狂った者たちにとっては、さらに狂おしくなるスピリットである。
朝10時のフェリーに乗り込み、4時間半かけて再び石垣島へ。さっきの宿で出会った人が出航後の船の位置を計るようにして、桟橋の先端に立っていたのをゆっこが見つける。僕とタカシさんはもうこういう光景はお互い何度も繰り返し見てきたので、やっぱりか、と思いつつも、懐かしいな、と感じたに違いない。タカシさんは時間のほとんどを強風のデッキで過ごした。僕とゆっこはカツオドリを見るのにも飽きて、共有スペースで横になって固くて四角い枕で寝た。
僕らは、内地からの旅人というのでは、今サード・ステージくらいですよね?、ものすごく分かったその言葉。はじめて八重山の島に行き、本当に楽しいことが続き、魔法のような瞬間の連続がたくさんあって、また何度も訪れるようになり、それが徐々に薄れたりもするがやっぱり向いてるよなあ。ここまでがファースト。次はそれを友達にも味わって欲しいと行動する(自分も好きだから楽しい)のがセカンド。それも10年以上前の経験には叶わず(徐々に観光づいてきたりするし)、多少のことではびっくりしなくなったり、それでもまだ知らないことだらけじゃないかとたくさん気付いたり、また本来沖縄が持ってる暗さをなんとなく感じたり、僕にとってはそういう今が、サード・ステージにあたるかな。
石垣に着いたら、すぐ高速船に乗って竹富島で2泊だ。僕はゆっこに自分の好きな島を見て感じて欲しいのだ。その前に与那国島に来れたのは、本当によかった。5日間もいたのに、元気なおばあに全く出会えなかったのが、とにかく残念だったけれども。
#3206-15-04 / Goodbye Yonaguni Island / Ferry Yonakuni