2015-0328 石垣島 – 与那国島 – 竹富島 10/48
この旅には、フィルムを22本しか持ってきていない。9日間なので1日2本半で90枚、全部で800枚ほどしか撮れないことになる。
酒造所見学の後、日本最大の蛾の博物館では、ちょうど羽化したばかりのヨナグニサンにお目にかかれて、館長はしきりにあなたたちラッキーですよ、と興奮していた(ほんとに珍しいらしい)。そうだ、僕たちはラッキーなのだ。
誰もいない、なにもない、坂道ばかりの田舎道を進むうちに、あっという間に今日のフィルム分を使いきりそうな状態になった。このなにもなさ加減というのは、かえって僕を刺激させてしまう。
最東端にたどり着き、ああ風が冷たいなあ、あたり前の感想を抱き、帰り道8、9キロはあるのにフィルムがないことを嘆く。館長があんなにラッキー具合を強調しなければ、残り枚数もまだたくさんあったかもしれない。
そしてこの後、ラッキーなことに、これまで徹底的に曇りがちだった空の隙間から、この旅いちばんの夕陽がまさに黄金色に輝いた。空という空、美しい色彩に染めながら暮れてゆく幽玄の時。これぞ与那国島じゃないか、圧巻の風景を撮らずにただ眺めた。
その晩、どなんを飲んで、消灯後に急に思い立って、暗闇の中を手探りし撮り終えたカメラのフィルムを巻き戻した(手動である)のはいいけれど、ひとつボタンを押すのを忘れていて、カメラの中でフィルムがちょんぎれた音がした。暗闇だから大丈夫だな(なわけがない)と思ってふたを開けても、どうにもならず。今日最後に撮った貴重なフィルム1本、お釈迦になった。
写真歴15年、特に酔っていたわけでもないが、初めて起こったこの事態。さあ困ったな、なんて僕はいよいよ思わない性格になったらしい。だらりと丸まったフィルムをくるくる手で巻き、もういちど手を離してびよーんとさせてもて遊びながら、これはなにを意味するのかを考える。
13年に8名で行った神聖なる久高島でのことをまず思い出す。あの時も、旅の前半が詰まったメモリーカード(写真900枚分)を交換する時に落としたらしく、結局なくしてしまった。あの時に比べればショックの度合いは小さい。たかだか36枚分。
これは沖縄の神様から、もうお前は島の写真を撮るな、と言われているのか、それとも僕は写真なんてやめた方がいいのか。いいことは思い浮かばない絶海の孤島。隣りでは今日ずっと一緒に歩いたタカシさんがぐうぐういびきをかいている。うん、これはいつも通りだな。気を取り直して明日からまた撮ろう。僕は写真というものを遠ざけようとした頃から、いちいち落ち込まないことが、とてもうまくなった。そして僕は、何事をも八百万の神々の所為にしだしているという、それだけ確認して寝た。
今すべての写真を見返すと、なくなった写真36点のほとんどをちゃんと思いだせる。当日より全体を見る今の方がわりと思い出せるのだ。アヤミハビル館からこの写真の東崎に向かう途中まで。館長が、いやあ、あなたたちほんとにラッキーですよ、という景色によって最高の夕陽を撮り逃し、さらにそのラッキー具合もなにひとつ残らなかった(笑)。
そういうわけだ、アディオス、ヨナグニサン!
#3031-15-03 / Yonaguni Island 5(Agarizaki)