月に1回くらいは、この場所に戻らなくては、思ってもいないが書いている。
インスタグラム「写真よ、大志を抱け!」8月編ひとくぎり。18年分の1ヶ月間を見つめ続けると、現在の僕、どこにいるのかよくわからなくなる。その代わり、世の人たちが今どこにいるのか、写真に何を見たがっているのか、または見過ごされていく感じが、とてもよくわかる気がする。
僕は今とても変な場所に自分を置いていて、誰かに対してたぶん申し訳ない場面(合わせることを選びたくないので)を作りながら、今ある心の中だけに従おうと思っているところ。多くは好きな友人たちのこと(ほとんど女子)を思っているのだけど、少しずつ、いつかの僕が戻ってきているかなと思う。自分のことはあまり考えられないが、誰かのことはとことん想うことができる。
今年のフォトログはそれなりに物語があったよな。どういう状態まで書いたっけ?、空っぽになって、癒しの水のような様々な気配を感じつつ、心静かに過ごそう、までだったかな。それからも色んな状況が訪れた。空っぽ、なんてものではない、どうにもならない無。無というやつも存在を感じてしまうあたりが謎なんだけど。これから何が起きるかわからないのに、僕は自分を守ろうとしてきた。
40歳になって、同誕生日の人がプレゼントしてくれた shione さんの音楽で自分の奥底にあったものが急に覚醒しちゃったり、とにかく無人島だけは行かないよう、必要な音楽で心の調整をしながら(それも湯川潮音さんだったり)、うん、大変な2ヶ月間だった。でも僕は書いたと思う。楽しみながら、少しでも笑いながら、共に進んでいきたい人たちがいる。写真では、今までできなかったことができていることを、これは喜んでいいな。さらに多くの誤解も抱かせてしまうだろうが、それでもいいなと思う。これからの人生に必要な人たちを、僕はもう選びたがっているのかな。
写真の仕事はかつてないくらい良いペース。忙しさという概念を捨て去ると、なお良いペースと感じることができるんだな。今やりたいことも、僕の好きなようにやっている。今までを思えば、孤独を感じていないことが何よりかな。多くの焼き鳥好きな人と串で繋がれる喜び。これで締めくくるのは良くないけど、やっぱり幸せ。幸せな気分、なんかでないのは、再び写真が始まろうとしているの、僕が喜んでいるからなんだな。
#3514-17-08 / A rapport / kakato wo naraso