11日間、どこにも出かけないで、ずっと部屋で制作というか、今は作業をしている。一度だけ自分でひとりキムチ鍋をやるために近所のオオゼキに行ったくらいかな。よくないことだとは知りつつも、今までの自分を思い返しつつ、こんなことはしょっちゅうだよなぁ。

今年は旅の写真展をやるために、それ以上の期間こもって制作していたけど、今はまた別の作品を作るために、昔のフィルム写真からのスキャンを鬼神のごとく続ける。まだまだ眠っているものはたくさんあるけれど、いつかは終えなきゃいけないことだから。

09年、このスキャナーを新宿のヨドバシカメラで56135円で買った時、僕の大好きなガラスアーティスト、青木美歌がたまたま隣りにいたのを思い返す。彼女とはお互いの表現を認め合える仲で、いつかこれで自分のフィルム写真を使って凄い作品を作りたいんだ、それは絶対買いですよ、なんて話してたこと。そんな些細なことが、今この集中力を繋ぎ止めている。秋の写真展の最終日、最後のお客さんとして、メキシコ人のカレンとも夕食を共にできた彼女を思うに、今の僕の立ち位置というかこの先々が、より明確に見えてくる。

11日前は、今はオーストラリアで音楽道中しているギタリストに声をかけられ、心通じる友人宅へ。ここは実に懐かしい土地で、美大受験の頃に滑り止めの試験に来たことがある。僕はその滑り止めにも落選しているんだけど(笑)そして、このギタリストは本当にアホみたいなタイミングで事を起こす人物で、何も知らずに、その友人らの入籍した日を、よりにもよって失意の僕を選んで訪れたわけ。友人、さっきなったばかりの嫁さんに曰く、天使がやってきたぞ。僕に言わせれば、悪魔みたいな天使たちが来てしまったとしか言いようがない。でもこんなに幸せを感じれた日は、そうはなかったな。僕らはきっと音楽によって、この場所に導かれている。

昨日はフィルムスキャンも3本しか進まなかった。02年のものを見ていたら、亡くなった親父と、母親と、近所の焼き肉屋に行っている写真があった。ほとんど15年前の写真。僕が大学に入って写真を始めたばかりの頃。親父、僕にカメラを向けられ笑顔で焼き肉を焼いているが、息子との距離は中南米よりも遠し、そんな写真だ。撮った当時はなんとも思わない写真も、時が経てば、恐ろしいくらいの写真に見えてくる。明らかに、僕のために焼いてくれているなと、今ならわかるから。その時の僕はビールが嫌いで(親父がビールを好きだったから)でもその時一緒に飲みたいのだろうくらいは分かったから、少しだけは飲んだような覚えがある。そこまで思い出せるのが、写真の力かな。

そんな昔を思い返す日々。今はなんだかそれくらいしかやろうと思わない。本当はすぐにでも会いたい人がいるのだが、少し自信みたいなものを失っていて、なかなか声がかけられない。簡単なことなんだけど、今の僕には難しいらしい。

明日は、僕が写真を始めた記念日である。さぁ写真を撮るぞ、という気持ちにしばらくはなれそうにないのだが、僕たちは死人(しびと)として、今できることをただ徹底的にやるだけの日々である。

 

3396

 

#3396-16-12 /  Guitarist Shun 12

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