山ガール(山ウーマンと呼ぶとあれなので)ゆっこと年に1度の山登り。上高地バスターミナルから6時間〜涸沢までの登山。テントで1泊、同じ道を戻ってくる。松本に住んでるこれも山ガールの友人と共にいく予定だったが、その娘は最近も登り過ぎ脚を痛めて、今回は来れないことになった。
僕は以前の屋久島縦走2度、富士山1合目からの登山で妙な自信がついて、さわやか信州号よろしく楽に登ってこれるもんだと思ったが、現在2日たっても足の痛みがおさまらない(笑)
後半3時間のみの登山道だったが、深夜バスで寝れず、今までの中では1番きつかった。アルプスには偉大なお山がたくさんあり、この紅葉ルートは誰もが簡単に選べるコースだと思ったのがいけなかった。僕は登ることよりも、道中の写真に集中してしまう。まずそこが根本的に間違っているのだが、素晴らしいものが撮れ、無事にキーボードも叩いているので、よしとしている。
自然溢れるような景色は、撮りたくないもののひとつであったなあ。今は朽ちて倒れた木々とかよく見てしまうし、単に綺麗な景色を撮ることもできるようになったらしい(それあたりまえですから)。溶け込みたいという想いが、写真を撮らせているかなと思う。
いつか山ガールであると判明したゆっこであるが、最初の屋久島ではザックの背負い方も違ってて、ひざがいたいもうあるけないじゃがポックル食べたい、みたいな感じだった。それから、かつて山岳部であった彼女のパパさんと夏山に登ったり、たくさんの装備を着々と揃えたり、単に自分が山に目覚めた(実は幼少の頃から親しんでいた)という意識が、彼女を逞しく変えているような登りっぷりだった。
いいわけをするけど、僕はいちいち急に立ち止まって、撮ったり撮らなかったりを果てしなく続けているので、ゴールが見えても最後の踏ん張り効かずに、小さくなっていく彼女を見ているのでありました。ゆっこは決められた区間の中盤にだれるような(飽きっぽい)ところがあるが、最初に稼いでおこうというスタートダッシュと、早く苦しみから解き放たれたいというラストスパートがすさまじい。その時はまさにアルピニスタ、山ウーマガールの完成である。
紅葉ピークシーズンは過ぎていて、閑散とした岩場に初めてテントを張って眠る。こういう気分を味わうための上高地なわけだけど、もう疲れて眠るだけだった。パパさんの良いテント寝袋をお借りしたこともあり寒空のもとぐっすり眠れた。夜行バスで熟睡できなかったことも、幸いしたといえる。
翌日の下りの岩場で膝は痛めかけたけど、お互い楽しく写真を撮りながら、なに食ってもうまい連呼の食事をして、最後に風呂に入って僕は出発前からザックに忍ばせておいたビールを飲んで、ここで初めて、山っていいなあって思うのだ。もちろんタバコを吸いながら。
短期間でも自然の中に身を置いてしまうと、僕はもとの生活に戻るのに時間がかかる。帰りのバスの中では、前の席に見える山ボーイガールたちが、疲れながらも写真のチェックをしてせっせと投稿をしていた。これが今の自然に身を置いたもののあるべき姿なのだろう。僕は離れたところに小さく見える指で操られた写真を1点1点、職業病という名の盗み眼で見つめてみる。やっぱり山好きな人は最終地点にかけているんだなあってあたり前のことを思う。僕はどこに行っても道すがらの人なのだ。
戻ってきてからは、来年2、3月の中米キューバ旅の構想を煮詰めはじめた。地域ごとに見たいもの、移動の仕方を考えるのは、登山とはちょっと違う計画性のはずだけど、ひとりではない旅となるとまじめにやってしまう性格らしい。山ではそれやらないと死ぬが、ガイドブックを見ながらの旅は、それやらなくてもせいぜいお金を取られるくらいで、死ぬようなことはそんなにないと思う。なんてことを思いながら、バスターミナルまで何分、セントロまでいくら、ここは疲れてるからスリ注意、宿をとる場所はこのあたりの方が次に動きやすい、土日銀行やってないのでこのタイミングで両替、このへんでゆっこ飽きるので、明確なゴールの設定…
山を愛する者たちは、なんにも決めない旅はあまり向いていないのかもしれない。
#3104-15-10 / Kamikouchi Girl