今年8月15日、すみだジャズフェスティバル。

最後を飾る、奄美唄者の朝崎郁恵さんの野外ライブ(まさかの無料)に参上した。昨年、現在朝崎さんのお弟子さんの奏者の方に出会うことができて、近いうち聴きにいける機会があればいいなあって思ってた。

朝崎さんという唄者に出会ったのは11年半前。この年の僕は、ひとつ道の途中で、ある選択を手に入れようとした時期でもあった。手にいれたかどうかは、秘密にしておく。

僕という人間を、取り戻そうとしてくれたか、新しい道しるべになったかもしれない出来事。あんなに自然にたくさんの涙が溢れて止まらなかったのは、なんとも言いがたい体験だった。汚い茶金の長い髪を結んで、フィルムを詰め込んだぼろぼろのアーミージャケットを着て、並んで買ったCDにサインをしてもらった僕。とにかく泣きました、僕は写真を続けます、みたいなことを伝えて、握手なんかをしてもらう時。ふるさとはおありなんですか?、優しい声で言われたのを今も鮮明に思い出す。

その時の僕、自分にあるのは写真と音楽だけと思っていたので、ふるさとという概念を考えていなかった。ちょっと恥ずかしい単語だなという感覚。それで僕は、いや僕は東京だからないんです、というようなことを言ったと思う。今だったら、新潟であるし、藤沢であるし、西東京であるし、沖縄でもあるし、戸越だってそうだし、心のふるさとがたくさんあって、どれがほんとのふるさとか分からないですって言えるんだけど、当時はほんとに全くないと思っていたんだな。

その翌々日から、僕は沖縄を1ヶ月ほど旅をした。今だから思えるのだが、心のふるさとを求めた旅といえた。そしてその旅の最後を締めくくったのも、本島南部にある浜辺の茶屋で、海の上にまで及ぶステージに立つ朝崎さんの唄声だった。

今年8月15日、永遠の唄者とは、こういう人のことを言うんだ、とさらに思い知らされた。どんな場所で唄っても、島の風が勝手に集まってくるくらいなんだから。

2年以上前に、僕は大切な仲間たちを集め、沖縄ツアーを企画し添乗員をやったことがある。それで参加者のひとりひとりに合わせて自分で選曲をしたCD-Rを焼いて贈ったことがあるんだけど、村のバザールの村長のやつには、僕が大号泣した朝崎さんの曲を予感として忍ばせておいた。はじまったばかりの村のバザール、きっとそういう日もくるだろうなあと祈りを込めて。もっともあの村長さんは、そんなわたしの繊細さなんて風のように流せるお人でもあるのだが…

それで、ではないんだけど、明日30日は、浅草村のバザールで、朝崎郁恵と奄美の八月踊り、というライブイベントがある。僕の中には、再びある選択が、沸き起こるのかもしれない。それを手に入れたいかどうかも、今はやっぱり秘密としておきたい。

 

3038

 

#3038-15-08 /  Rokucho

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