新しい年になっている。松任谷由実さんの「やさしさに包まれたなら」を聴きながら、2018年、最初のフォトログを。2010年から数年間、あんなに毎日やってきたことも、もはや月に1度更新するかしないかに。もう誰も見てない、でもいいの。

インスタグラム「写真よ、大志を抱け!」は7ヶ月間で2200以上の投稿を続けたので(月に300以上だ)、よしとするか、やっぱりしないか、思ってみる。あとなぜか、このサイト内に移行する前の旧フォトログ「写真は写真」が、当時更新していた時と同じくらいに、たくさんの人かはわからないが、恐ろしいくらいに開かれ続けている。わるいことに使われていなければいいけど、大事な文章だけメモってなくした方がいいかしら、とも思う。

昨年1年間、たいしたこと挑戦してなかったのに、自身がこんなにもドラマティックに、今までの人生の大事な場面と関わり合いながら、この時が進んできた、というか、進まざるをえなかった、またそれを知れる自分になった、なんとそれを知っていた人もいた、うん、僕くらいにしかわからないことを書いている。

ひとつ前の記事では、あと少しだけ自分自身を護る作業に徹しなくてはならないことを書いた。勝ちも負けもない、恐ろしい戦いが自分の中にあったのかもしれない。見えないものを多少見れるようになったはいいが、正直、今の僕には荷が重すぎた。戦いはまだうっすら続いているようにも見える。僕はさらに傷つくことを恐れながら、今に至っている。この先どうなるかは、わからないことの方が多い。でもこれからを生きるためにしなくてはいけないこと、少し気付けたのかもしれない。

僕は守るというより守られて、共に戦ってきてくれた者たちの存在を、その年の終わりに確認することになった。確かな締めくくりのあった1日。もう忘れることはできない、とても大切な日になった。真っ直ぐに、守ってくれた人がいた、遠くからでも、守ってくれていた人がいた。そして、この世界から突然いなくなってしまった、大切な人もいた。それらが僕のはじまりになった。

写真の中に、いつも誰かがいてくれたこと。心の中に、いつも誰かがいてくれること。だから僕は、また歩き出すことができる。今度は守っていけるように。人はそんな生き方を笑うかもしれない。遠くに行ってしまうと感じるかもしれない。自分はなんでそうなれないんだ、黙って思うかもしれない。知ったこっちゃないかもしれない。それでいいんだと思う。そういう素直な自分の気持ちを知れただけで、嬉しい僕がいるから。

 

 

結局、その日に会えたふたつの月たちは、翌日から同時にこんこんと寝込んでしまった。ありゃ、僕の分まで戦わせてしまったかな!、そんなバカみたいなことをずっと考えてきた年末、年始なのであります。

このフォトログ「写真は写真」も大志に負けずに(まだ追い抜かれてないんだからね)ゆっくり進んでいくつもり。みなさま、今年もどうぞよろしくお願いします。

 

#3523-17-12 / 1216(Saori and Chihiro)

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