インスタグラム「写真よ、大志を抱け!」7月編がひとくぎりついて、久しぶりにリラックス、書いている。僕が僕なりのインスタをはじめてから思うことがたくさんあって、全部はとても書けないけど、少しは書いておこうというなんとなくな今。

特に僕の投稿をフォローする方々の半分弱くらいは知っていると思うけど、僕はもう本当に「風雲!たけし城」みたいなことしかやってない。気にかけてくれ、見てみようかなと思う。けれど、脱落者でなく正常者続出で、こちらはそれらをなんとも思わずに、お互い頑張りましょう、片付けている。フォロワー数を増やしたいが当たり前の世界で、どこに減らしたい人がいるのだろうか?

そんな中、たまに心配もかけながら、僕なんかを見てもらえる(見なくてはいけない羽目になった)人たちのことは、愛すべき存在なんだろうなぁと思える。遠くから見るやり方を選ぶのが賢い人たちなのかなと僕は思う。それでも、たまたまかもしれないけど、近くで見てみようと選択できる人たちの方が、僕はとても気になるかな。すごいな、嬉しいよなぁと思っちゃう。そんな人たちの行方こそ、僕はとても気にかけているし、これからも共に生きていたいのだと思える。

僕が美大に(うつ病ながら)在籍していた頃に、ひとつ面白い概念があった。当然学校にも行かなくなるから、先生や助手の方々と特別面談みたいな時間があるのだけれど、僕の命の恩人というべき先生から、こんな概念を知ることができた。

化ける

一般大学にはあまりない概念かもしれないけど、何か特別な能力しか授けられなかった者たちが集う美術大学(今は就職命みたいな感じだけども)、日々を鬱屈としながら過ごす中で、ひょんなことから目覚ましく新たな自分を見つけ、世間に対して自分を開くことができるようになること。100人学生がいたら数名はそんな感じになるらしい。その概念が当たり前のようにこの世界には存在しているということ。僕は世間に対してはどうか知らないけど、ある意味その時の僕に比べたら、それなりに「化ける」ことができたのかもしれない。

最近もまた新たに化けることを手に入れようか入れないか、そんな具合だなぁ。僕なりの有意義なチャレンジをやっぱり人は面白いと思うはずなく、前述に至る。僕はもう色々なことに我慢できないというか、でも怒りをなるべく鎮める方向で日々過ごすわけで、それしか今を生きる術が正直ない。でもここ数年の僕のことを思えば、よほど健康的かなぁと思える。

明日にも何が起きるかわからないこの日々、僕は最後まで僕であることをようやく選択することができたのかもしれない。これ、今まで目指してきたようで、なかなかできなかったよね。さらに人を傷つけながら進んで行くことを選んでいることでもあるから。本当に大好きな人たちと、これからを歩んでいく予感しかしないこと。その幸せを手にしながら、いつか眠りにつくことができること。今はそれだけの僕なのかな。

気づいたら「写真よ、大志を抱け!」は、18年分の4月から7月の全写真を見届けたり、整理したり、把握したり、選んだり、捨てたり、保留したり、大事にしまって置いたりすることができた。これで写真人生の3分の1を振り返れたことになるかな。あとの3分の2を見届けた時、僕のこれからが始まるのか、気の長いことを思っている。それでもいいな。その時こそ、僕は本当に誰かのために生きることができると思っているのかなぁ。

わずかな人でも、遠くからでも、見てくれているという事実がある。今はその感謝を密かにすることくらいしかできないけれど、いつかそれらを「さらに化けた」自分として、最高の形に変えることができるなら。そこまでを共に、笑えることが少しでもできたら嬉しいな。一時期、僕の見ている友人たちの写真の流れが花だらけ(8連チャンくらい)とか、世界はほとんどお花畑なのか、みたいになったりなかなか熱い展開になっていた。ここには何もないかなと思っていたけど、誰の写真の向こうにも、きっと何かがあるのだろうな。そこまで見えるようになると、写真も大志を抱くことがやがてできるのかもしれないね。

 

#3513-05-11 / Yusuke 2005

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