心は無になりそうでも、たぶん上空から僕を見ることができれば、今まで以上に幸せなのであろうと思い込みを続ける。4月に撮った写真データフォルダを眺めるに、何かが僕に降り注いでいるのだと思う。整理できないものはできないので放っておきたいのだけど、頼まれごとも多々あるので向き合っていると思えば向き合っている。

去年12月。最近の僕が、ある意味出発したかもしれない地点に起こった、友人たちとの再会。オーストラリアに旅立つ直前のギタリスト児玉峻に声をかけられ、長らく会えていなかった友人の大工庭師さんの家に遊びに行った。かなり気ままに決まったその日は、彼らがまさに入籍した日だった。僕は奥さん初めまして。ちょうど失意のどん底にあった僕と、浮遊を続けるギタリストが、ふたりのめでたい日に何も知らずに訪れた。ゆうさん、ゆうちゃん、そして僕もゆうといえばゆうちゃんか。その日はほんとうに美しかった。それからの僕には、本当にいろんなことがあった。よく生きて戻ってこれたと今は思う。今生きているのかわからんけど。

先月末、ふたりの親戚一同が集まる会で写真を撮ることを依頼されて、再びここにやってきた。大工庭師さんは、去年の旅の写真展会場、野ざらし荘の派手な内装工事もやった人。今うちの2階に居候しているギタリストのカヤさんも、彼に新しいお店のことを任せたいと今のところ思っている。そんなわけだよね、ただのタイミングってやつ。全てはつながり以上につながり、数年前の僕が描いた通りになりそうなのに、僕といえばなぜだかよく分からないけど、ほとんど無になりかけている。つまりそういう状態にならなければ、そうはならないということなのかもしれない。

僕は友達に信頼されているのか何なのかわからないけど、特別な状況に声をかけられることがとても多くなった。他にも最近お願いごとが多々あったけれど、ここには書けないような状況ばかりである。会う人会う人、全ての人が何かを抱え、それでも新しい始まりを求めていて、きっと僕自身もそうだからだろうなぁと思う。そららの出来事こそ、これから手に入れようとしている僕なのかもしれないと思う。幸も不幸も関係ないよね。全ては人が織りなす世界の中で、そこに透明で空っぽな僕が入り込む形になる。

今夜カヤさんは、児玉峻のライブに出かけた。僕も行こうかなと思ったけど、そうでない場面があった方がいい時。でもついさっき、これから行きつけの音楽バーに峻を連れて行った後、僕の部屋に彼を泊めさせるような電話がきた。ゆうすけも合流できんと?、もう電車ないっす、今日は集中して仕事したので眠いっす。

今日は本当は撮影仕事があった日なんだけど、関係者さんのお一方が急に来れなくなったみたいで、出発直前に延期決定。まぁいいやと思える方だけど、また別の日にやるのはその分他の撮影仕事の可能性が少しだけ低くなるので、フリーランスにとってはあまり良くないこと。それで今日は、自宅仕事で友人の親戚たちの集まりの写真と向き合ったということでした。岩牡蠣も美味しく頂けたなぁ。お土産の手作りみかんジャムもめちゃくちゃ体に染みた。とってもいい時間だった。

そのきっかけを作ってくれたギタリスト峻くんは、これから明け方前にうちにやってくるだろう。そしたらまた飲むかな。僕の大型連休はこういう感じにおさまりそうだよ。この素晴らしき世界だな。

 

 

#3478-17-04 /  Yu- and Yu-ko

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