4月が終わろうとしている。実際まだ何日か残っているけど、僕の中ではとっくに終わっていて、これから5月を迎えるという気持ちでもあまりない。ビールの量が相当増えた。夜から深夜にかけて飲みっぱなしの状態で、毎深夜にコンビニに行くことになる。1日缶ビール6、7本は固い。でも全く酔っぱらうなんてことはない。

世間的に忙しい状況でもないけど、心にゆとりというものが全くない。焦ってもいないし、普通に仕事もあっていいんだけど、常に何かに対して身構えている状態が続く。よく満たされてもいないが、幸せなんだろうなぁということは、たまにお隣で見るテレビのニュースを見て思う。昨深夜2時頃、うちのほとんど2軒となりくらいで炸裂音と共にボヤ火事が起き、消防車の緊迫した放水活動なんかを撮りながら、いつ何が起こっても不思議ではないなぁと思う。

今の僕にはほとんど心がない状態なのかもしれない。たまにフェイスブックやインスタグラムの自分の投稿を冷静に振り返って思ってみる。ないなぁこれは。自分のしていることを、ないなぁとすら感じるくらいだ。

写真はよくなっている。ただそれは、一緒に歩く人の波長を感じながらの写真であったりする。そういう人たちが不思議でなく集まっている時期なのかな。そこには自分の意思はあまりない。過去の写真の見え方もまだよくわからないけど、なんとなく変わっている。

まだまだいろんな状況が押し寄せてきそうだから、やっぱり身構えてしまう。当たり前のように導かれているものに対しては、素直に従って楽しむことができる。いい音楽と出会う季節、それによって写真が起こることは今までの僕かもしれない。とても飾りのない楽曲に対しては自然と涙が溢れる。今まで流したような辛かったり喜びの涙でなく、ただつーっと涙として流れていく。

無になりたいわけがなく、死人として生きて行く喜びもあるわけがない。どうにかしなきゃすら思えない。でも身体や手先は動くことをやめない。もはやこんなのは意志でないと今ようやく思える。

今はただ、起こるすべての状況にやや縮こまりながら日々を暮らすしかないのか。なんにもハードな生活ではないのに、どうして僕はここまで疲れているのだろうか。これが無か、無ではない独り言も言いたくなる。今の僕は上空から自分を見れていない。何か入り込んでくるものに対して、素直に従っているだけのような気がする。

そんな中、昨年の夏から3月まで姫路に通って撮った、高校のパンフレットが届く。特に今年の撮影はなんとか生きようとする意志が確かにあったんだなぁ。いい時間であったことは、写真を見るとよくわかる。かわいすぎてもうだめ。

ここまでを15分くらいでノンストップで書いた。また知らないうちに超ぐったりする。ここに僕の意志があるのかは、また明日にでも見てみようと思う。かわいいなぁ。そんなわけで、僕はまだ自分でいることをやめていないのかなと少しだけは思える。

 

 

#3477-17-04 /  Hyogo-ken Harima High School

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