1月が終わる。年末くらいから、短期間でこんなに気持ちというものが移り変わったことはなく、正直、僕は自分自身にびっくりしている。
昨年末から、生活を少しだけ意識的に変えた。寝るときは2階の何もないような部屋で。太陽を浴びながら目覚めることの素晴らしさ。起きたらすぐエスプレッソを牛乳とてんさい糖たっぷりで2杯(ふたり用サイズだから)。電子レンジは1階にある、だからいつも生温かいくらい。たまに食パンをフライパンで2枚焼く。友達の嫁さんからもらったリンゴジャムをたっぷり。食後、タバコでもゆっくり吸いたいが、それも1階にあるので、階段からいったん外に出ていつもの部屋に戻る。みゃちが玄関近くにある爪研ぎをしながら迎えてくれる。僕は必ず、おはよう、と言う。猫好きな人は、一緒に寝てこそと思う。今の僕はひとりがよい、ひどいかもしれないけど、そんな意識がある。その分、自宅仕事中には、みゃちはたっぷり太ももの上でグルグルするようになった。重いからいつもはすぐ降ろしてたけど、心底、かわいいなぁと思うようになる。
僕はいつの間にか、感受性がかなり強くなったようで、普段の自分は保ちながらも、ちょっとしたことにも感動するようになってしまった。選ぶ音楽によっては相当まずいことになる。君の名は。なんて見た日には、崩壊の恐れがあるから絶対見に行かない。今も泣こうと思ったら、想像力を働かせれば、すぐに生温かい涙を流すことができる。朝起きてすぐもオッケー。だから自分の写真になるべく集中するように、なんとかやっている。
去年の展示くらいまで、僕はフェイスブックをわりと見ていたと思うけど、ほとんど見なくなった。それが心地よい時間をつくるかもしれない。友達が今何をしているか、メッセージを開くためにはずみで見えたとしても、それがなんなんだろうと思っている。これが今の写真の姿なんだろうと思う。何年も見てたら、その人がどういう人で、その裏側まで見てしまう自分も少し嫌になった。ほんとに仲のよい友達のことを思う時もあるけど、移りゆく気持ちの行方を楽しんだり、ただ幸せであることを大切にしながら日々を過ごしている。なんといってもお隣のおばさんの夕食がうますぎる。たまに泣きそうになる。
撮影仕事もたくさんあったので、僕が僕でいられることも続く。時間のかかる自宅仕事も好きで、丁寧に写真データを作りながら、もっといろんな仕事もやってみたいなぁと思う。自由気ままな孤独な撮り方ばかりでなく。若い人たちに紛れて撮る仕事が多いので、6、7年ぶりに髪を整えるために美容室にも行った。最初のシャンプーまではとにかく緊張したな。効果はあるもんだ、カメラマンを意識してしまう若い人たちのちょっとした心も、少しだけ変わってくるもんだなぁ。
今までの写真で、嘘のない世界を作りたく思っているが、その気持ちが薄れていったりする時もある。僕が誰かにできることはなんだろうと、何度も思ってきたことを今更。自分自身を、君の心の中に見てみる。あなた自身を、僕の心の中に移してみる。言葉はたくさん出てくるものの、掴みきれないものに、またしても戸惑う。映っているものを、不思議そうに覗き込んでみる。たった1ヶ月、自分が違うものになっていることにびっくりするけど、なんかいいなぁと思う。
2月だね。中旬には福岡で4日間ほど、ギタリストのカヤさんたちと共に過ごす。濃密な時間になるなぁ。春以降、カヤさんはしばらくうちの2階で滞在すると思うから、また1階で猫と寝るようにしようかな。カヤさんには、美味しいパスタの作り方でも教わろうっと。
フォトログは、なんとか1日1回のペースを(最後の方で勢いよく)守った。古い時代から現在に近づき、また遡ったけど、なんか面白くないね。以前みたいにアドリブでやってみようかな。
僕は最近、気持ちという言葉をよく使っているよね。なんなんだろうね、この気持ち。
#3431-17-01 / Princess Bronze