2008年、ここからは、本当に僕の写真を必要としてくれる人たちに向けて、まさに心血を注ぐ季節になる。

それまでの大事な撮影仕事。僕のいた美術大学の卒業制作期間に、全学科の4年生たちをパンフレット用に撮影することがずっと続いてきた。この年で5年目、そこで目撃できる年下の才能たちに出会うのが楽しくなり、僕はこの仕事をしながら、初めて美術大学の成り立ちを知ったようなものかな。いた頃はあまり大学に行かず、写真とバイトだけだったから。

この年、06年の撮影中に出会うことのできた、ガラスアーティストの青木美歌と再会できる。卒業後に札幌でインスタレーション展示をやった時に撮影要請をくれたみたいだったが、僕の電話番号が変わっていた。飛行機代を出してでも僕を呼ぶつもりだったらしく、これはとても嬉しい話だった。僕は人物以外は撮れないカメラマンだったが、彼女のガラスだけは別世界と感じ、最初に卒業制作の作品「あなたと私の間に」を見た時には、仕事中なのに我を忘れるくらい撮らせてもらった。その時の写真がこれだよ。http://www.mikaaoki.jp

08年、彼女は躍進の時で、たくさんの展示を撮らせてもらえた。こういうのは三脚を立てて撮るのが普通なんだけど、ほとんど手持ちで撮っていたような。なんか無理だったんだよ、三脚を立ててしまった瞬間に、自分の足を使わなくなる気がして。

それとこの年はもうひとつ。大学時代からの心の親友、踊り絵師の神田サオリのライブペインティングもたくさん撮った。夏前に僕はやっぱりデジカメがどうしても好きになれなくて、写真もう無理かも症候群が再び襲ったのだけど、その時一緒にいたカメラの親友が、以前サオリにペイントしてもらった中判フィルムカメラを知っていて、それ(デジカメ)にも描いてもらえばいいじゃないか、と言う(この親友は、僕がどうすればやる気を出すか、長い付き合いだからよく知っている)。よし、今日はもう遅いから明日電話することにするよ!、親友曰く、いや今だな(単に自分も楽しみたいだけである)。そんなわけで、その夏に僕のデジタル一眼に神田サオリの描いた花が咲いた。それからだな、やけにたくさんの撮影に呼ばれ出したのは(笑)なんて。ライブであることは僕の得意分野、長時間の集中力でいつやってくるか分からない一瞬にかけるような感じ。盛り上がってるようなシーンを抑えておけばいいのがプロのやり方だが、僕は、始まる前から終わった後でも、なぜだか集中力を切らすことができず、いつも最後は廃人みたいになっていたなぁ。今も割とそうなんだけどね。

現在の僕の撮影仕事は、気付けば半分以上は美術アート周りの仕事で成り立っていて、それはこのふたりの静と動の撮影から始まっているようにも思う。上手ではなかったけど、本当に一生懸命撮っていたよ。それらが今の僕の仕事ぶりを作ってくれたような気がするんだな。このふたりには今も感謝を捧げたいと思える。ふたりとも、今はかなり存在感のあるアーティストになっていて、嬉しくもあり、少し寂しいような感じも、たまにあると言えばある。

自身の変化のタイミングには、ちゃんと然るべき出会いや再会がある。しかしそれまでの僕の頑なだった写真の8年間は、そう簡単には壊れてくれない。誰かのために捧げるとは言いつつも、どういう心で、どういう撮り方をすればいいか、その時はまだちっともわかっていなかったな。現在の僕が、誰かのために今できること。これからの写真の在り方が、実に楽しみである。

この年は、今までのように街を歩いて撮るような写真はあまりない。友人アーティストやイベントごとの撮影に呼ばれてばかりだったな(この頃はまだカメラマンという存在がかなり必要だった時代)。でも冬には写真を撮るための旅もしたよ。セブンスター、マルボロ、マルボロ・ライトのズッコケ3人組で、フランス(パリ)、ギリシャ(クレタ島、ロドス島)、トルコ(イスタンブール、カッパドキア)17日間の男3人珍道中。旅中はあまり楽しかった記憶はないけど、今思えば、笑っちゃうくらいの素晴らしい旅だったなぁ。

 

#3413-08-02 /  Singing Glass 4

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