2006年、この年はやたら激しく浮き沈んだ。書きたくないことばかりで、旧フォトログ時代にはまったく手が出なかった。03年から05年まで、写真を始めた当時よりそれを自分のものにできた感覚。いよいよ加速する時、そんな想いの06年。結果からするとその7年間で、写真の僕の何かが、ひと区切りついた。かなり最悪だと思える区切りだったわけども。

春にひとつ、友達にグループ展に誘われた。それぞれがやりたいことをやる、若き日の共同展示。その頃に通っていたプロラボのサービスで、通常のL判よりさらに小さい「ちびプリント」というものがあり、6年間撮ってきた写真を多めに飾った。600枚は用意したかな、飾ったのは350枚くらい。これはなかなかよい展示だった。タイトル「始まりがあるから」そう思えたんだから最高だね。

その展示の最中、写真コンペに出した作品が選ばれて、写真を始めてすぐの頃にお世話になった銀座のギャラリーで、夏に再び個展をすることが決まった。周りから見ればとりあえず若手作家デビューという感じ。フォトドキュメンタリー「NIPPON」というやつで、僕は3年間くらいのポスティング(チラシ投函)バイト中に撮ってきた街の写真を「ちびプリント」で提出していた。これは選ばれるだろうなとわかっていたから出したという、僕にしては賢く、そのためだけにやった感じがある。プリントも自分でやらない若手作家の出来上がり。クオリティーより企画重視な感じが受けたんだと思う。もちろんそれも狙ってるわけだけど。つまり確かに始まりはあった。でもそのあと、ようやく到来した春からすぐにアリ地獄みたいなものに落ちた。始まりはあったが、ある側面では急速な終わりもあった。地獄内でもがき始めてすぐ、新潟のおばあちゃんも交通事故で亡くなった。でも僕には制作することが求められた。

その年の最初に有意義な撮影仕事もあって、展示制作だけでなく、それに合わせて自身最初の作品集も作ることができた。応募した作品は街のくだらないおもしろ写真の羅列でしかなかったが、その作品集では、きついバイトをしながら輝くものを求め続けた、僕としての人間性をいい写真のみで表そうとした。どちらも自腹で作るんだから、やりたいことをやったわけだ。展示と作品集で100万円越え。まだ中判カメラの借金も返せてなく、辛かったなー。

ここでひとつ問題が起きて、展示を主催するのは超大手な会社だったのだけど、ちょうどその頃、写真表現におけるプライバシー肖像権的な厳しさが急に高まってきて、撮った写真ひとつひとつ、その人たちの許可を取って欲しいと参加作家たちにお達しがきた。これは今思うと難しい話だけど、当時の僕からすれば全く話が飲み込めなかった。特に僕のポスティング中の写真なんて明らかに人の敷地にめちゃくちゃ侵入してるし(だから面白いのだけど)、400くらい訪れた町に赴いて許可を取れって無理に決まっている。だから主催者側としては、僕が参加者の中でたぶん一番くらい危険作家と認定されたんだと思う。大企業の体質というのは今なら凄くわかるのだけど、僕にこの作品でやって欲しくはないんだな、ということだけはすぐわかった。その時の僕は、大失恋のショックを引きずり、精神もかなりおかしくなっていたので、そんなことはどうでもいいけど、とにかく心が、応募作ではなく希望を込めて作った作品集の写真の方で展示をやりたい気持ちもあった。その時に好きだった人は、それを見て泣いてくれたから。主催者側のチーフにこれ販売してもいいですかって見せていたら、めちゃめちゃカッコイイ!そっちの方がイイよ!と当然なって、僕は応募作の内容からかなりかけ離れた展示を最終的にやった。もちろん他の審査員さん方には、我々に対する裏切りだ、当然言われたけど、僕はもう展示までこぎつけるのが精一杯で、期間中やその後は、本当に全てが無に帰した。いい展示はできたと思ったけどね。そして夏以降の僕はかなり長い期間、荒みに荒んだ。写真なんてやめるかもしれないな、写真どころか、僕すらもやめるかもしれない、そんなことを毎日思ったことだろう。書けることはそれだけ。無とは、人としての思いがないのだから。

06年は、仕事での大きな出会いも少しあったなぁ。美大の学校案内の仕事を一緒にやっていた同級生デザイナーから、小学校のポスターや学校案内に使う写真をすぐ撮ってきてくれないかと言われた。確かその2、3日後に入学式に写真を撮りに行ったのだけど、7年間くらいの写真経験で、いちばんいいくらいの写真が撮れてしまい、結果ものすごい学校案内が誕生してしまった(土壇場で撮ってきてくれというアートディレクターがまたすごいわけだけど)。できたパンフレットを見た時の感動は、今もずっと残っている。最悪なことばかりが続いている中で見たからなおさらだ。その写真は、入学式が終わって下校時まで何も撮れなかったのだけど、最後に小雨上がりの中、落ちてくる桜の花びらを帽子で一生懸命すくっている子達がいて、その瞬間を撮ったやつ。ピントも合ってなくてとてもブレているんだけど、それでいいんだよ。長きにわたるポスティングバイトで瞬発的に撮ることを続けていたから撮れたんだと思う。この時だね、技術や構想ではなく一瞬にかけるようなカメラマンが誕生したのは。それ以来11年間、その相模大野の小学校に通って僕は写真を撮っている。最初に撮っていた1年生の子はもう高校生だと思うし、6年生は社会人にまでなっていると思われる。一方、僕はほとんど何も変わっておらず、これを書く現在も「始まりがあるから」なんて思ってる(笑)

この年の日々の写真は、そんなに輝いているものはない。明らかに仕事の写真の方に軍配が上がる。その仕事の写真も、僕らしさを失わないという点で、本当にそのままで良い。

ああたくさん書いたね。いつかの苦しみを文章にするってのは難しいね。だってもう全く苦しんでいないんだもの。ひとつの時代が、同時に始まり、また終わったような1年だったかな。

 

 

#3410-06-01 /  Cracked Ashtray

Posted in 06

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