2004年、とても大切な事柄が詰まった年だった。僕の写真家としてのピークはここにあったと思うくらいだね(これから作れ!)。

仕事の都合もあり、ようやくニコンのフィルム一眼を使い始める。このカメラも12年後に中米キューバまで連れて行かれるとは思わなかったろう。ピントを手動で合わせる、やっぱり写真はこうでないとね。でも僕の写真はほとんど合ってないんだけども。

バイトに始めたばかりの撮影仕事、多くの旅、動きに動いた年だった。友達の影響で沖縄に住みたく、春に1ヶ月間、いろんな島々を旅した。帰ってきてからすぐに2回目の写真展をやった。結局、沖縄移住はやめ。本当の沖縄も知らないで、癒しだけ求めるなんて、これじゃあ写真家にはなれないな、そんな感じ。夏にはギタリストカヤさんの全国ツアーに迷惑なくらいついていって、そこで得た力があらゆる行動へとつながった。

02年に北海道へ行くフェリーの中で、出会うことのできた物凄い人がいて、彼とも特別な意味合いで行動を共にさせてもらった。カヤさんが自分の表現に対する魂の師であれば、彼はその時の僕には決して見れないような世界をたくさん目撃させてくれ、これからを生きるために必要なことを時間をかけて丁寧に教えてくれる人だった(今もそうなんだけど)。若くして世界中にある真実をすべてといえるくらい知るだろう人だった。様々な舞台で散々泣かされながら、彼に知らなかった世の中を徐々に教わっていく。

いつか彼は、僕に丸善のノート数冊とラミー社のボールペンをさりげなく授けてくれた。それ以来、僕は毎日何でもいいから、自分についての文章を書くようになった。彼と会わなければ、こうしてここに文章を残してはいないと思える。

写真を始めたばかりの時は、人の写真はあまり得意ではなかったが、この年から会う人会う人を実にたくさん撮っている。状況なんてまるで関係なし。沖縄あたりを旅して知った、人と人が何かのタイミングで必ず会えること、おかげで僕は対人恐怖症をやや克服し、たくさんの人と繋がりあうことも覚えた。同世代の女の子が大変ほほえましく映っている写真がたくさんある。人というより、僕は女の子が撮りたいだけなのかもとやや知る。カメラマンにありがちな展開だが、性格資質における向き不向き、僕が単に女性的な人間であっただけの話かもしれない。これは僕のカメラマン生命をいまだに支えている。おじさんのお写真を冷や汗なしに撮れるようになったのはここ数年の話。

全く写真の勉強をしてこなかったフリーカメラマン1年生だが、特に固執していないのに、その年の売り上げは100万円を超えている。もうバイトなんてやめようってなるよなぁ。あまり妙な自信をつけませんように。

 

 

#3408-04-01 /  Ku-cgalla

Posted in 04

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