彼女が旅立った(ほんと都合のよい言い回しだよなぁ)日から、僕の中ではずいぶん時が経ったように思えるのだけれど、その日以来、昨日の僕の18回目の写真記念日には、また別の意味の涙が溢れて、うまく自分を保てなかった。

彼女が去った直後の涙は、感謝しかない喜びの涙で、ずいぶん気持ちのよい解放されたものだったけど、昨日のは彼女についてのものでなく、ひたすら自分へ向けての悔し涙に近いものだったと思う。これに関しては多々流してきたから、ああまたこの涙かとちょっと懐かしい。でも喜びの涙というのは、初めての経験だったかもしれない。ほんとに同じ涙とは思えないくらい、質的にも違うものだった。

悔しい方はどんなだろう、普通ならとっくにやめているところをやめなかった。たまに己の魂を込めて写真展示をする時には、いつも何かを失った。そういうことなんだと思う。悔しいというより、抜け出せない涙なんだろうなぁ。でもやめることができないんだから、これはただのバカである。

17年分くらいの範囲で写真物語を長時間読み解いていたら、涙も流したくなる。でも今必要だと思うから続けていける。そして、つい最近手に入れた手塚治虫さんの「ブッダ」をほんの少し読み進めただけで、当たり前のように生き物があっけなく死んでいく有様を、今の僕は割とすんなりと受け止める。これは今読まない方がいいのかな、ひょっとして(笑)。

彼女と時間を共にした友人たちに、一体この状況をどう伝えたらよいのかを考えたりする。連絡があった人にいきなり告げるしかなく、ショックを受けられ、でもひたすらあたたかい言葉をもらって、僕はいったい今、何をやっているんだろうと思う。特にかばうというあたりの心が本当かと悩んだりする。そんなんで昨日は一気にズーンとなってしまった。僕がそんなこと思ったりする必要はないはずなんだけど。

僕には、あなたの悔しさがわからない、そう言ってくれた友人がいる。あたたかい言葉もいいけれど、僕はこういう感じの方がしっくりきたかなぁ。その通りだよ、と認め合えることができるのは、とても人間的で真実だと思える。

さぁこれで、今年のフォトログは終了にしようかな。長い期間はりつめすぎたらしく、あとはぼんやりと過ごしたい。今年は39歳の誕生日後日の記事が一番らしく書けたかな?、あの記事は今も見てくれる人もたくさんいて、もう何百回と開かれたようで、ほんとによかったなぁと思う。

来年のフォトログは、少し文章にも力を入れながら(たくさん書くというより、削る感じがいいかな)、#3776(富士山)まで登ろうと思います。

ありがとうございました。

yusuke

 

http://yusuke-sato.com/photograph

こちらは、サイト内に今年の中米キューバ旅の写真を多めに載せております。途中で雪が降ってきますが(1月4日まで)、ぜひご覧ください。下へ3番目にあります。

 

3398

 

#3398-16-12 /  A fallen leaf

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