写真は写真 from #0522(一部、修正と加筆)

2010.12.22

 

11年前のその日、写真をはじめた。12月22日は、僕が写真をはじめた日なんだ。

新しく自分の人生を歩もうとした頃。花屋のバイトをはじめたり、孤立していた僕にも本当の友達ができたりした。誰にも自分が生まれた誕生日ってものはあるけれど、20代の僕は、どちらかというと自分の誕生日はこの日の方に設定していたな。今はそこまでこの日に思い入れがあるわけではない。でも忘れないという事実だけはしっかりと残っている。

写真が好きで、この道を選んだわけではない。他にまったくやりたいことや、できそうなことがなかったから、夢をあきらめたように写真を撮ることを選んでいる。

写真という世界の中で、ひょっとして無理をして、夢らしいものを抱こうとしてきたけれど、最近の僕はそのことに関して、まったくピンときていない。少し前の僕だったらそれで、困ったな、弱ったな、と思ってきたけど、今の僕はそれすら思っていない。

写真を取り巻く状況は、あの時と今でまったく違うと思っている。時代が選んでしまったことに対し、僕には数年前から感じてきたことがある。僕が自己を表現する上で、それをすべてとすることに関して、疑問を持ってきたことがある。

写真しかなかった頃の僕はとても尊かった。でもやがて、本当に伝えたいものを写真というものだけに僕が懸命に込めることが、周りにある環境にはどうやらそぐわないことを思い知らされると、むなしさだけが残った。11年間、僕は戦ってきたように思ってきたけど、どちらかというとそれを同時に遠ざけてきたようにも思う。写真は写真でしかないからね、そんなことを言ってはじめたのが「写真は写真」今年の僕がしてきたことなんだ。

それでも僕の写真を好きと言って、応援し続けてくれる人も本当にたくさんいてくれる。いつまでも見守ってくれる人たちの顔は、会っていなくてもすぐ思い浮かべることができるし、今まで撮らせてもらえたその人たちのことは、事実として僕が忘れるわけがない。

これから写真に突き進むのも、進んでいかないのも、出会えてきた人たちとの関係がなければ語れない。あったはずの自己を薄めながら、周りの環境に合わせて、写真を何かの凝り固まった事象として、それを仕方がないからと認めてしまう人たちの作品のようなものに、僕はあまり感銘を受けたことはないし、それを僕がしようと思うのは、意味がないような気がしている。

いつまでも不器用で、僕が生きていく方法を考えようとしている。なんかいいんだよなぁを失わない心を残そうとしている。今まではひとりだと思っていた心が違うものだと気付いたら、僕にとっての新しい写真のあり方が見えてくる。今の僕には、本当に大切にしたいものがしっかりと見えている。

誰もが思っている、あとはやるだけだ。その言葉はとても危険なもろい希望なのだと思う。それだけを続けてきた君ならわかるはずだ。もうはじまっていると気付かなければ、君のしてきたことは、誰にも気付いてもらえないんだ。

 

#0522-99-12 /  Ray of hope

と、僕の記念日に書いている。これは6年前に、彼女と付き合い始めてすぐの時に書いたもので、これから楽しい毎日になるかもしれないが、同時に僕を失うことを恐れながら、書いたのだと思う。というより、これから撮らなくなるだろう僕に、昔の僕から宛てた感じもあるのだろうなぁ。

今日の僕は写真を撮らず、5000円分のクオカードを使って求めた、手塚治虫さんの「ブッダ」を日がな読んで過ごそう。最初は「ちはやふる」7冊分を抱えていたんだけど、30巻だけなかったのでこちらになった。とてもいい流れ、なかった30巻には感謝したいと思う。

18年目を迎えたが、今年はもう撮らないな。こんな文章を読んだからって、さぁ撮るぞなんて思えないよ。こうやって、人は何か大事な心をやめていくのだな、そこまでを考えてみたい。

この人だけは、99年から17年間、撮ってきたんだな(今年はこの1日だけ)。写真っていいなぁ。今年も写真を運んでくれて、ありがとう。

 

3397

 

#3397-16-11 /  Seven Stars Type-16(Karasuyama Snowing)

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