今年最後の忘年会、アーティスト加藤泉さんの主に外注組(笑)会にゆっこと共に楽しく参加してきた。加藤さんまわりのアート関係の人たちは、ほんとにおもしろい人たちばかりで、加藤さんの作家としての才と人柄に惚れ込んで、この場所があるんだよなあ。前に作品撮影で大きさを知るスケール役でゆっこに登場してもらったのだけど、彼女にまで声をかけてくれるんだから嬉しい話だ。

ほんとは先週にもこの会があったんだけど、もう加藤さんったら僕に声をかけるのをすっかり忘れていて(人間ですもの)、ほんとにごめんなさい、このままじゃ俺の気が済まない、ということで、再度僕たちのためにもこの会を開いてくれたのだ。先週来ていた人たちもまた集まってくれたという(笑)みなさんこの忙しい時期なのになんて人たちなんだろう。

加藤さんは来月から、ニューヨークのギャラリーで個展がある。今回も行けないのが残念だが、僕はこの前のアトリエ撮影でほとんどの作品を先取りで見ることができた。その時の写真や今までの写真もそのギャラリーで作る作品集に掲載されるらしく、今からとても楽しみである。2月のメキシコへのフライトの時に経由地もいろいろあったのだけど、もっと早く知っていればアメリカ経由のフライトを選んでいたかもしれないね。

その会の前、少し早めに到着したので、近くにあったブックオフで時間を潰そうとしたら、今僕が最も欲しかった本を文庫で見つけることができた。今や僕の一番好きな作家でもある隆慶一郎著「死ぬことと見つけたり」上下巻で216円。これで旅中に読むべきものも決まった。隆さんの作品で一番最初に読んだのがこの遺作(物語も途中で終わっている)で、とうとう自分でも無理なく手に入れる形となった。

もともとこれは、2年ほど前に出会うことのできた僕の大好きなギタリストが、自分のバイブルだと言って(スケちゃんならばきっと…という感覚)それこそぼろ雑巾みたいになった本を貸してくれたのだった。時代小説としてのおもしろさは当然として、なにより主人公が毎朝目覚めた時に、まず自分の死に様をできるだけ詳細に思い描くという鍛錬法がかなりぐっとくる。隆さんの本には文中にたびたび死人(しびと)という言葉が出てくるが、僕らが目指したいというか、分かり合える部分は特にそこなのであろう。死人とはこれ以上失うものがないという状態であり、この身軽さを持った死んだ人間以上におそろしいものはない、とある。かつてどこかで自分を殺そうとしたことがある人間ならば、きっと心に響き渡ることだろう。

この概念は現代においても、人の心の奥に響く表現を産みたいと願う人間とかは、ある程度は持っていてもよいと僕なんかはずっとずっと思ってきたわけだ。そうでなくても今この時代を生きていかねばならない人々にとって、多少必要な感覚だと思うんだよね。敢えてつまらない例を出すが、人より遥かに遅れをとったり、食いっ逸れになりそうな時、死人である以上、そういうのもまったく気にならなくなる。だって毎朝のように死んでいるのだから。僕らはたぶんその幸せな場所にいたいと心の底では思っているのかな。僕はこの本に出会って、澄んだ心でいようとする僕を見つめながら自身を批判し、自分の真の幸せは、またこのギタリストにとっての幸せは、今まで出会うしかなかった死人たちにとっての幸せは、どこにあるのかをずっと考えてきただろう。

長い海外への旅に持っていく本としては最高だ。前回の南米旅にも隆さんの本を2冊持っていった。死ぬような時に後悔のない死に方ができるようになるための本であると位置づけることもできる。もしゆっこか僕のどちらかが死なねばならない時、僕の方こそが死んでいるというイメージを持つか持たないかでは、旅の仕方も変わってくる。言っておくけど、死にたいとか思ってるわけじゃないからね(笑)単に浪漫なのよ。

僕はそんな鍛錬を毎日する強さはないけれど、10年前の僕の持ちたい心が沖縄八重山地方のアララガマ、どんなに虐げられようとも、なにクソと明るく生きていこうとする精神であったならば、今の僕は、虐げられる世界もなければ、自己の内面をひたすら鍛錬するしか方法がなかったのだろう。この死人という静かな志は、これからも身につけていたいものだ。それが今の僕が思う、生きている状態なのだと思う。みんな僕なんかの写真を見てきて、希望な光をすぐ見つけられると思うけど、なぜそうなったかをぜひ考えてみて、という話でもある。それはただ、死んでいた自分が撮らせているだけなのである。

今年を振り返ってさあ幸せだったという文章にしたかったのだけど、すっかりこうなってしまった(笑)そういう気分に浸れる人がいるならば、それも幸せな生き方だね。僕は毎日スペイン語映画やキューバ音楽のドキュメンタリーを流しながら、池上彰の現代史講義「キューバ危機と核開発競争」を見ながら、今年目撃してきた様々な人たちの苦しい場面や、徹底的な孤独を胸に宿しながら、明日はどういう死に方が良いか、僕らの好きなオリーブ色の革命ができるかどうか(ハイジャックしなくても行きたい国へ行ける時代の中)、そんなふうに考えている年末なのでありました。

 

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#3187-15-12  /  Dead Person

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